一人で生きたいけれど、一人では寂しい

私は長い間、自分探しをしていました。

 

色んなセミナーを受けたにもかかわらず、やりたい事も見つからず、

職も転々としてきました。

 

そんな時に出会ったのが、禅の世界です。

 

坐れば坐るほど、心が楽になっていく。

 

それと同時に、現実世界への興味のようなものも、少しずつ薄れていきました。

 

私は、人と関わるのがあまり得意ではありません。

 

どちらかと言えば、一人でコツコツやるのが好きなタイプです。

 

断るのも苦手で、何でも引き受けてしまう。

 

そして、気づいた時にはしんどくなって、会社を辞める。

 

そんなパターンを、何度も繰り返してきました。

 

ある時、思い切って会社を辞めて、店舗せどりというものを始めました。

 

最初はうまくいきませんでしたが、半年ほど続けると、最低限生活していくくらいのお金は、月の半分ほど働けば稼げるようになりました。

 

それだけだと不安だったので、新聞配達も最低限やるようにしました。

 

昼間は、まるっきり時間が空きます。

 

せどりで疲れたら休む。

 

映画を見たくなったら映画を見る。

 

お金に余裕があるわけではないけれど、内面的にはとても穏やかな日々でした。

 

静かな幸せ感に包まれた生活だったと思います。

 

だけれども、新聞配達も一人。

 

せどりも一人。

 

一日誰とも話さない日も多くて、ふとした時に寂しさのようなものも感じていました。

 

一人は好きだけれど、寂しがり屋。

 

何とも面倒くさい性格です。

 

そんな時に、妹から会社を手伝ってほしいと言われました。

 

家業を少し手伝うつもりで入った。

 

それが、今につながる最初のきっかけでした。

 

家業に入ったことで、人と関わる時間は増えました。

 

寂しさは少し減ったのかもしれません。

 

でもその分、自分の静かな時間や、自分のペースで生きる感覚は、少しずつ失われていったようにも思います。

 

今思えば、私はずっと「一人でいたい」と「誰かとつながっていたい」の間で揺れていたのだと思います。

親の会社を、どこまで背負うべきなのか

親の会社は、正直大変だ。

 

事業って、トップの人で決まると私は思います。

 

だったら、その人が最終責任を取るのが筋ではないでしょうか。

 

社長は好きなモノを作る。

 

でも、売り上げが悪いのは全部私のせい。

 

それは、ちょっと違うと思う。

 

私はネット運営責任者として、私なりに色々提案してきました。

 

でも、

 

「やりたくない」

 

「うちで作らなくてもいいじゃん」

 

そんなふうに言われ、提案はほとんど却下されてきました。

 

それでも結果が出なければ、責任は私に来る。

 

挙句の果てに、

 

「給料が払えないから、やめてほしい」

 

と言われる。

 

正直、どんだけだと思いました。

 

親の会社でなければ、とっくに辞めていると思います。

 

でも、私が辞めたら、たぶん会社はかなり厳しくなる。

 

そう思うと、簡単には離れられません。

 

本当は、ブチギレて出社しないくらいしてもいいのかもしれない。

 

でも、根が優しいのか、そこまではできない。

 

どうなるんでしょうね。

 

それでも、親を責めたいわけではありません。

 

ただ、自分がどこまで背負うべきなのか。

 

今は、それをずっと考えています。

自分の人生を自分で決めることにした

今まで相手を優先するように生きてきた。

親の会社だから手伝って当然と。

世間体にもいいし。

取りあえず肩身の狭い思いをしなくて済む。

 

でも最近は、人からどう思われようと、自分が生きたいように生きる事を強く望むようになってきた。

 

そうした方が、後悔もしないし、人のせいにするような人生も嫌だ。そんな大人をたくさん見てきたから。

 

私は朝起きてから、寝るまで自分の人生を生きるのが理想だ。

 

朝起きて新聞配達をして、

ブログを書いて、

自分で出来る小さなビジネスをして、

週に2~3日はアルバイトをする。

年収としたら大したことないかもしれないが、私はそれで十分なのだ。

 

YouTubeも始めたいし、

農業もやってみたい。

 

最近はやりたいことがたくさんある。

意欲が湧いてきたのかもしれない。

 

家業は辞められないなんて考えていたけれど、

やっぱり自分の人生は自分で決めたい。

 

父親がやっている古家具のリメイク事業がうまくいかない。

私なりに出来ることは一生懸命やってきた。

 

私の能力不足の面もあるかもしれないが、

 

全て私の責任のように言われるのは、やはり違うと思う。
さすがの私も、最近は腹が立つようになってきた。

 

これをいい機会と思って、私は進もうと思う。

何も起こらない瞑想を続けて気付いたこと

最近、ある方と瞑想について話をする機会がありました。

その中で、自分でも気付いていなかったことに気付かされました。

私は10年以上坐禅を続けています。

始めた頃は苦行そのものでしたが、続けるうちに少しずつラクになり、座ること自体は習慣になりました。

けれど最近の瞑想はというと、

何も起こらない。

変わらない。

特別な体験もない。

正直、つまらない。

そんな感覚でした。

それでも毎日座り続けていました。

なぜ1時間通しで座れなかったのか

私は普段、30分を2回に分けて瞑想することが多かったです。

でも、ふと気付きました。

なぜ1時間通しでやらないのだろう。

答えは意外と単純でした。

つまらないから。

苦痛だから。

もっと深く入りたい。

もっと先に進みたい。

そう思っているのに、一番避けていたのは、その「つまらなさ」や「苦しさ」そのものだったのかもしれません。

そこで思い切って、1時間通しで座ってみることにしました。

意外とできた

結果から言うと、普通にできました。

もちろん途中で退屈さを感じる時間もありました。

それでも最後まで座ることができました。

しかも、いつもより深く入れたような気がします。

何か特別な体験があったわけではありません。

でも、今まで避けていた壁を一つ越えられたような感覚がありました。

「ただ見る」をやってみた

もう一つ教わったのが、「ただ見る」という実践です。

さっそく近くの公園へ行って試してみました。

誰もいない公園のベンチに座り、

木を見る。

空を見る。

風に揺れる葉を見る。

ただ見る。

何かを考えようとせず、

何かを得ようとせず、

ただ見ていました。

すると、いつもの瞑想とは少し違う心地よさがありました。

お金のかからない豊かな休日

しばらく「ただ見る」をして、

動きたくなったら公園を一周散歩する。

そしてまた座る。

それだけです。

でも、とても満たされた時間でした。

最近は、お金で買えるものへの興味が少しずつ薄れてきています。

もちろん必要なものは買います。

けれど、本当に心が満たされる時間は、意外とお金のかからないところにあるのかもしれません。

静かな公園で座る。

風を感じる。

鳥の声を聞く。

ゆっくり歩く。

そんな時間が、とても贅沢に感じました。

これから

これからは1時間の瞑想と、「ただ見る」を日常の中に取り入れてみようと思います。

何か特別な体験を求めるのではなく、

ただ座る。

ただ見る。

ただ歩く。

そんな時間を大切にしていきたいと思います。

安すぎると言われて考えたこと

妻の友人に、とても豊かな暮らしをされている方がいる。

以前ご自宅にお邪魔したことがあるが、その応接室は私の想像を超えるような空間だった。正直、別世界のように感じた。

 

以前、職場が一緒だったそうで、すごく良くしてもらっている。

たまに和人の家具も買ってくれて、経営のアドバイスもしてくれるありがたい方。

 

その人が言うには値段が安すぎる。

普通の人からしたら、99,000円って高いけれど、作りを見れば苦労して作っているのが分かるし、お店のテナント代や人件費を引いたら、儲からないよって。

 

そしてアンティークコインというのを見せてもらった。

コイン自体の価値はそんなにない。だけれど誰が所有していたか、希少性などで価値が爆上がりし、お金持ちが喜んで買うそうだ。

 

コレクター同士で希少なコインの話になるそうだ。

 

和人の商品もそれに近い。趣味のモノだと。

 

趣味のモノはお金になる。

そして高く売るには歴史が必要だ。

 

たとえばどこどこの代々伝わる家で大切にされていたもので、デザインも変わっているし、もう出回ることはない。そんな付加価値を付けることで、高く売ることが出来ると。

 

なるほどなーと思った。

正直今は和人の経営が大変だ。

安くすると、工場がパンクしてその割に儲からない。だけれど全部高くする勇気もない。

 

和人の未来は暗いと思っていた。

けれど今日、お話を聞いて少し考え方が変わった。

 

安く売ることだけが正解ではない。

本当に価値の分かる人に届ける。

そんな商売の形もあるのかもしれない。

 

少しだけ和人の未来が明るく見えた一日だった。

 

和人のことを気にかけて、いつも色々な話をしてくださる。

今日も勉強になる一日だった。

自分を犠牲にする人生をやめる

私が望む人生

 

売上至上主義

気合で頑張る

時給を上げる

年収を上げる

 

そんな人生がしんどくなってきた。

まぁ生きていくには、最低限の衣食住はなければいけない。

だけれどそれ以上のモノに最近魅力を感じない。

それよりも自分らしい働き方が出来ればいいなと思っている。

いい車に乗ったり、大きい家に住んだり、毎週飲みに行ったり、

そんな事はどうでもいいから。

 

私的には決まった時間に決まった量の仕事をこなし、

無理のない範囲でやって

ブログを書いたり、youtuveに動画を作ったり、

自分のコンテンツを充実させていきたい。

 

そんな人生になればいいなと思う。

今やっている親の会社は今は辞めるつもりもないし、なるべく協力していきたいとも思っている。

 

だけれど自分を犠牲にする人生はもうやめる。

これまでずっとそうしてきた気がする。

 

自分と向き合い、自分の事を大切にする生き方をしていこうと思う。

世間から見れば小さな人生かもしれない。

それでも、自分にとっては十分豊かな人生だと思う。

 

 

決断の時が迫ってきた

父親も72歳になった。

 

古民具・古材再生プロジェクト和人も、職人である父が引退すれば大きな転機を迎える。

 

私は販売やEC運営を担当してきたため、職人の後継者にはなれなかった。

 

覚えようとも考えたが、製作と販売の両方を高いレベルでこなせるほど器用な性格ではない。

 

おそらく和人はあと2〜3年。

 

その後のことを考える機会が増えた。

 

幸い妹の事業は順調で、最終的にはそちらを手伝う道もある。

 

ただ、今すぐ答えを出したいわけではない。

 

本当は小さな事業を持ちながら、足りない分をアルバイトで補うような暮らしに憧れている。

 

朝は新聞配達をして、

ブログを書いて、

座禅をして、

昼間は何か好きな仕事をする。

そんな生活だ。

 

まだ何をするかは決まっていない。

 

でも最近思う。

 

人生は焦って答えを出さなくてもいいのかもしれない。

 

和人が続くあと2〜3年。

 

その時間を使って、ゆっくり次の生き方を探していけばいい。

 

昔の私は「早く決めなければ」と思っていた。

 

でも今は、

「決まっていない時間にも意味がある」

そう思えるようになった。