最近、ある方と瞑想について話をする機会がありました。
その中で、自分でも気付いていなかったことに気付かされました。
私は10年以上坐禅を続けています。
始めた頃は苦行そのものでしたが、続けるうちに少しずつラクになり、座ること自体は習慣になりました。
けれど最近の瞑想はというと、
何も起こらない。
変わらない。
特別な体験もない。
正直、つまらない。
そんな感覚でした。
それでも毎日座り続けていました。
なぜ1時間通しで座れなかったのか
私は普段、30分を2回に分けて瞑想することが多かったです。
でも、ふと気付きました。
なぜ1時間通しでやらないのだろう。
答えは意外と単純でした。
つまらないから。
苦痛だから。
もっと深く入りたい。
もっと先に進みたい。
そう思っているのに、一番避けていたのは、その「つまらなさ」や「苦しさ」そのものだったのかもしれません。
そこで思い切って、1時間通しで座ってみることにしました。
意外とできた
結果から言うと、普通にできました。
もちろん途中で退屈さを感じる時間もありました。
それでも最後まで座ることができました。
しかも、いつもより深く入れたような気がします。
何か特別な体験があったわけではありません。
でも、今まで避けていた壁を一つ越えられたような感覚がありました。
「ただ見る」をやってみた
もう一つ教わったのが、「ただ見る」という実践です。
さっそく近くの公園へ行って試してみました。
誰もいない公園のベンチに座り、
木を見る。
空を見る。
風に揺れる葉を見る。
ただ見る。
何かを考えようとせず、
何かを得ようとせず、
ただ見ていました。
すると、いつもの瞑想とは少し違う心地よさがありました。
お金のかからない豊かな休日
しばらく「ただ見る」をして、
動きたくなったら公園を一周散歩する。
そしてまた座る。
それだけです。
でも、とても満たされた時間でした。
最近は、お金で買えるものへの興味が少しずつ薄れてきています。
もちろん必要なものは買います。
けれど、本当に心が満たされる時間は、意外とお金のかからないところにあるのかもしれません。
静かな公園で座る。
風を感じる。
鳥の声を聞く。
ゆっくり歩く。
そんな時間が、とても贅沢に感じました。
これから
これからは1時間の瞑想と、「ただ見る」を日常の中に取り入れてみようと思います。
何か特別な体験を求めるのではなく、
ただ座る。
ただ見る。
ただ歩く。
そんな時間を大切にしていきたいと思います。
